聞こえの重要性について
まず始めに<見えない・聞こえない・話せない>の三重苦を見事に克服し、社会福祉に貢献したへレン・ケラー女史の有名な言葉をご紹介致します。
「もし神様が、私の三つの苦しみの中から一つだけ取り去って下さるとしたら、私は迷わずに聞こえないことによる苦しみを真っ先に取り去ってくださるように神様にお願いするでしょう」
この言葉から「聞こえ」を失ったということが、いかに深刻なことか、つまり「聞こえ」を通した言葉によるコミュニケーションが、いかに大切なものかを物語っていると言えるのではないでしょうか。もしあなた自身が聞こえや言葉の障害があったとしたらどうでしょうか。想像してみて下さい。普段当たり前のように過ごしていたことが、とても大切だという事がわかるかもしれません。
朝、目覚ましの音が聞こえませんし、電話のベルが鳴っていても聞こえません、玄関に来訪者があってもわかりません。外に出れば車の音もわかりませんし、後ろから警笛を鳴らされても気付かず非常に危険です。人と話をしようにも相手の言っていることが聞こえませんし、自分の言いたいことを伝えたくても話せなければ相手に伝えることは大変です。人と意思疎通ができにくいということや社会音が聞こえないという事は、心に大きな不安をもたらしパニックになりかねないという事が少しでも想像してもらえたら幸いです。
コミュニケーションについて
コミュニケーションの方法は、一つではありません。文字やジェスチャー、表情、ぬくもり、感触など、“言葉”を補い、人の心に触れる方法はたくさんあるのです。
“聞こえない”ということも特別扱いするのではなく、“聞こえない”ために体や心身に不自由があるのならば、医学で治療できるものは治療によって快適に近づけるかもしれないし、残念ながら医学では治療できないものでも、補聴器によって少しでも快適に近づけるかもしれません。
補聴器が有効でない場合でも、少しの思いやりと言葉を補うコミュニケーション方法、そして生活を便利にする道具(例えば、来客があった際に光でお知らせするランプなど)を使用する事によって、少しでも快適になることはあると思われます。
たとえ障害があっても、その人らしく生活すること、心のある言葉で、また、心のこもったコミュニケーション手段で、人と人とがつながっていけたら良いですね。自分の伝えたいことを伝えられるということ、相手の言いたいことを聞けるということは、当たり前のようでとても大切なことなのだと少しでもお分かりいただけたらと思います。